まだ死んでないです。まぢかるです。
僕が怒りのあまりに部屋で脱糞した話は、友人間では中々に有名な話なのですが、改めて当時の気持ちを振り返ってみようかなと。
と、その前にそこまでの経緯を少々語らせて頂きます。
きっかけは些細な事でした。
テレビの朝のニュース番組をボーッと眺めていた時のことです。
その内容は「〇〇被告の裁判での内容がナンタラ」と言った内容でした。
さてさて年中無職でやる事もない僕は、日がな一日snsを意味もなく見ているのですが(きっと多くの無職もそうでしょう)その日もニュースを見た後に特に意味もなくsnsを眺めていました。
しかしなんだが誰もがピリピリした様子。
詳細を追っていくと、どうやら〇〇被告についての話のようでした。
そこで見た内容は〇〇被告に対しての罵詈雑言、彼の出世に関しての話など見るに堪えない内容ばかりでした。
僕は思いました。「犯罪者や非倫理的な人間は差別されるのだ」と。
何故か無性に悲しくなりました。
論者達は特段彼からの被害を受けたわけではないのに、彼らは何故そこまで怒っているのか、僕には理解できませんでした。
勿論犯罪行為や非倫理的行為は社会において非難されるべき行動かもしれません。
しかし非難されるべきは行いでありその人間そのものでは無いとも思います。
まぁ、僕が被害者ならそれでも犯人を憎むでしょうし、損失を受けた大多数の人もそうだと思います。
でも彼らは、その〇〇被告からの被害を受けているわけではありません。
兎にも角にもその当時の僕にはその彼らの「怒り」への怒りを持っていました。
誰にだって怒りという感情はあります。ありますよね??
そして怒りという感情は往々にして誰かを、何かを傷つけてしまいがちです。
また「非倫理的な行為」というものがあります。端的にいうとその行為を行うと社会的に悪と認知されます。
僕は「部屋でウンコをする」という行為でこの二つのテーマに挑んだ訳ですね。
まず一つは誰も傷つけずに、なんなら笑えてしまうような方法で怒りを表現する事。
もう一つは誰も傷つけずに社会的悪となる事。
なぜこの二つなのかという事なのですが、当時の事をあまり覚えてないので曖昧なのですが
確か、「犯罪者は悪人である。故に差別しても良い」という論調が当時とてつもなく気に食わなかったんですよね。
悪人、善人、常人、誰でも人間だって事は変わらない訳で。良いこと悪いことの基準だって(◯◯にとって都合の)良いこと、(◯◯にとって都合の)悪いこと、以上の意味を持ちませんし。
それより怒りの感情で他人を平気で傷つける奴の方がよっぽど悪いやつだと僕は思ったんですよね、確か。
そうした思いを込めて、僕は部屋でウンコした訳ですよ。
いやぁ今にして思えば、個人的にはかなりベストバウトでしたね。
人間的感情と社会的善悪の対立というなんだかよく分からんテーマを漫才的な内容によく落とし込んだと思います。
みんなもしようぜ、うんち!
ってな感じでとりあえずは締めさせていただきます〜
皆様に素晴らしい終わりの在らんことを〜アンバサ〜