葦は明日を考える。

一人の人間が考えた『明日』を、つらつらと書き連ねます。

ロリを崇めよ

 どうもロリコンです。といってもそんじょそこらのロリコンとは一線を画すロリコンです。

 

まず私が伝えたいのはロリとは=純粋さであり性ではないという事。

そしてロリを愛するとはロリを自分のものにするのではなく、その純粋性を崇めるという事なのです。

つまりロリコンとは性嗜好ではなく宗教であり信仰なのです。

 

純粋さとは何かについてまず話しましょう。

その為にまず人の世の中の醜さの由来について少し考えてみます。

男と女、貧乏と金持ち、搾取されるもの搾取するもの、この世の歪さはこれらのあい対する存在のバランスの偏りによってもたらされます。

そもそも人とは相対的な価値観の中で揺らぎながら生きていくものです。生と死でさえも大きな波の一つに過ぎないのです。

我々人間はこの世界に存在している以上中間、完璧な重心に止まる事はできないのです。

この完璧な重心、全てが止まる点こそが純粋さです。

子供は醜さや汚らしささえも愛してくれます。罪深い大人に憧れ自分を殴る母親で愛してしまいます。

彼らは排泄物の名前を叫んだその口で宇宙への憧れを語ります。善悪がない彼らの純粋さの前では全てが平等なのです。

 

我々の体を見よ!女は醜く脂肪を揺らし顔に粉を塗り自分を偽る、男の筋肉は機械化された現代では最早暴力と権力の象徴といっても過言ではない!

目の前に散らばる小銭をかき集めて買い集めた感動を安易に消費して、花や空を見るだけで心が動いていた事すら忘れてしまう!

誇示するためにありとあらゆる罪を犯す!

 

しかしロリは許すでしょう、その純粋さ故に、その危うさ故に。

 

そしてそんな地獄で純粋さを保つロリに性別などあってはいけないのです。

故にロリコンは性愛ではなくアガペーであると、私は言いたいわけです。

 

我々の中にも昔はあったのです。

そしてこれから生まれてくる子供達の中にも存在しているのです。

純粋さというなのアガペーが。

我々汚れ切った大人に出来るのは、その純粋さを愛し守り、そしてその純粋さの汚し方を教える事だけなのです。

そう、純粋さは永遠ではない。

私の愛した少女もいつかは子供産むでしょう。

しかしそれで良いのです。

その幻のような無垢は、次の世代により洗練した形で受け継がれるのですから

我々人間はロリになることは出来ないですが、限りなくそこに近づくことは出来るのです。

 

故に私はロリを崇めるのです。届かない憧れと知りつつも、過去に私の手の中にあったあの純粋さを求めるのです。

 

さてここまで語ればみなさん気づくでしょう。

そう、つまりロリとはイコール神なのです。

そして私達は生まれたその瞬間だけは心に神を宿していたのです。

 

堕天し欲に溺れた醜い人間どもよ!あなた達の罪は子供を守り健やかに育てる事でのみ許されるのです。

 

まったく、小学生は最高だぜ!

書き殴り小説

 夕暮れ、時計は見えないがきっと四時付近を刺している事だろう。やけに寒くて目が醒めた。

部屋の隅、畳の上で扇風機がカラカラと音を立てて回っている。

どうやら昨日の夜から回り続けていたらしい。旧型の癖に殊勝なもんだ。いや旧型故に、か。

現実でも年寄り共の方が元気に動いてる様に見える。きっと「効率」なんて煩わしい事を考えないからだろう。

ただ目の前のやるべき事をやるだけ、ただ飯を食い、ただ会話して、ただ寝る。人のあるべき姿だ。

さて現実に戻ろう、今自分はどうしようとしていたっけ?

 

そうだ、目が覚めてそれから…夕暮れ時だった。おそらく4時頃。

緩慢な動きで布団の横に置いた筈のメガネを手探る。クソ、いつも見つからないんだ。これこそ障害じゃないのか。メガネ3割負担で買えるようにしろよ。

 

 よし、見つけた。

メガネをかけると曖昧な夢の中の様だった世界が一転リアリティを持った色彩豊かな夕暮れ時へと変わる。

時間は…ふむ、4:30か

どうやら思案するのに大分時間を使ったようだ。まぁ私は差し当たってやらなくてはいけない事はないので特に何も感じることはないが。

いや、ただの強がりか。実際この何もすることの無い時間に私は相当の精神を削られている。

なんとか時間を埋めなくては…

 夕暮れなら公園に行けば少し面白いものが見れるかもな

タバコは…無しか

私は軋む体を無理やり起こして立ち上がる

顔を洗い服を着て財布を持ち携帯を持つ、コレが何より大変だ。

 

外の気温は思ったほど低くはなかった。半袖で正解だったな。まるでチンピラか大麻吸ってる親戚のおじさんみたいな格好になってしまったが、まぁ問題ない。ほぼ事実みたいなものだ。

すれ違った子供達が何かしらを喋っている。もっともイヤホンから爆音で流れる曲が全てをかき消してしまったが。

もう少し大人になれば走り去る彼らに何かを思う様になるのだろうか。今の私にはただただ妬ましさしか感じることができない。

そうだタバコを買いに行かなくては。

 

 ──やはりこここそ自分のいるべき場所だと思う。

コンビニの端に設置された灰皿横の壁に寄りかかり傾きかけた空を見上げて煙を吐く。

近所のコンビニの灰皿が全て撤去されてからは本当にこのコンビニをよく使う様になった。ほらまた1人くたびれたおっさんがこちらに近づいてくる。全く需要というのは分からないものだ。

 

━━どうせなら少し散歩して行くか。

私はすぐ向かいにある公園へと足を運ぶ。丁度人も少なくなり始めて丁度いい時間だ。適当にその辺りの芝生に座り込み、また空を見上げタバコをふかし始める。2度目だ。

ひょっとして自分は空に憧れでも持っているのだろうか?だとしたらパイロットにでもなるべきだったな。

中学生くらいだろうか、手を繋いでベンチに座っている。彼らはいつどんな風に別れるのだろうか、せめて円満であって欲しいが。まぁ何も知らない自分は何もわからないが。

なんだってそうだ。私は何かが欠落している。

経験、とはまた違う、あえて言うなら経験の由来?の様なものが欠けている。

例えば小学校の時カードゲームが流行った時、私は家でピアノの練習をしていた。

みんなが遠足の容易で駄菓子屋に行っている時、私はスーパーでガムを買い漁っていた。

テレビで流行りの番組がやっている時間帯は…何をしていたっけ?

恋愛とはなんだろう、恋と愛は違うのか?私には分からない。

 

ただ一つだけ気づいたことがある。ナナカマドの葉が赤くなっている。

 

そもそもこの木はナナカマドだったのか。何年も同じ場所を通っていたのに全く気がつかなかった。

そうやって気づかないうちに沢山の物事を見逃してきたのだろうか。

何故か涙が出てきた。唇が震える。

 

自分は気づいてるだけでも沢山のモノを落としてきた。更に気づかないうちに落としてるモノもあるだと?

私は笑い始めてしまった。側から見たら泣きながら笑う狂人だが、別に今は気にしなくていい。

夕暮れ時なのだから誰もが夕飯の事で頭がいっぱいだ。 そもそも世の中は誰も私に興味などもたない。

 

ここまできたならもういっそ思う存分不安定な自分を楽しもう。

すぐさま携帯を取り出してメモを取る「ただナナカマドが赤かった」と。

 

 

なんかもー全部嫌になったんで消えます

 

結局さ何が悪いって不当な扱いを受けてヘラヘラしてる自分なんだよね

でさ、そういう行動の由来って自分の自信の無さが原因で

それは努力の積み重ねと人から認められるような才能と幼少期の環境でしか取り戻せないもので

 

僕はそういう美しいものを持っている人間こそ生きていくべきで、汚れることもできず、美しく真っ直ぐに歩く事も出来ない僕みたいな怠惰な人間は死ねばいいと思います

 

どーせ誰もコレも読まんし好き勝手書くけどさ、欲しいものなんてさ、無いじゃん

ただボロボロになって帰ってきて泣きつける相手が欲しいだけじゃん

手に入るわけないんだよねそんな場所

面白そうなテーマをいくつか

 

面白そうなテーマを幾つか思いついたのでメモしておきます

これを読んだ人にどれか一つでも引っかかると嬉しいですね!

 

①.世間と関わらないメリット

Ⅰ.情報が入らないので物欲が刺激されない、これは金銭的なメリット

Ⅱ.他人と比較出来ないので劣等感を感じる事もない、これは精神的なメリット

 

と考えると社会から離脱する事は有意義なように思えるが俗に言われるのは「孤独は人をおかしくする」という事

しかしそれを「おかしい」と定義しているのもまた社会

もしかしたらこの孤独故の異常さというのは人間を社会的な生き物としての定義から外して一つの生き物や人格として考えたらごく自然な事なのでは?

 

この異常さで良くある話は「見えないものが見えるようになる」「攻撃性が増す」といった話だが、もしかしたら「社会」というものが本来見えていたはずのものを覆い隠しているだけなのでは?

 

②自由ってホントにいい事なの?

自分は食欲や性欲に支配されて暴れている人間を見て「グロいな〜」と思ったりするのですが

じゃあ支配が完全にない状態、つまり食欲も性欲もない完全な自分だけの世界ってのがあるとして

それは鬱状態と同じじゃないか?

例えばホルモンバランスによる精神の昂りや落ち込みも無くなるけれど、それらは大いに自己の人格形成に関わっているわけで

というかそれら自分の肉体的な部分、所謂本能とされる部分と精神は切り離して考えることなんて出来ないんじゃないかと

しかしそれらが自分を支配して振り回す事があるのもまた事実

というか「自分が自分でありたい」「支配されたくない」なんて気持ち自体それらに支配されているから思う事なのでは?

そもそも自分なんてものはなく自分が自分だと思っているものなんて全てただ細胞に電気が通った時の火花なのかもしれない

でも自分と本能を切り分けて考えるべきではないなら、自分と空間、自分と他人、自分と世間も同一として扱うべきじゃないか?

 

③情報、熱力学的死を迎えそうじゃない?

インターネットというものが生まれて僕らは情報の温もりに触れる事が出来るようになりました

そして遠い距離でもお互いがお互いを認識できるようになり他者との繋がりが増えました

(僕はインターネット以前を知りませんが)

でもさぁ情報も他人との関係も飽和し過ぎじゃない?

でもそれ以前には戻れない訳で

ところでエントロピーって雑にいうと「乱雑さ」の値なんですけど、今の人間の関係性ってこのエントロピーがすごい高まってると思うんですよね

他人と自分がぐちゃぐちゃに混ざり合って、正しさと醜さも混ざって、強者が弱者で弱者が強者で

そしてそんな混乱が新たな混乱を呼んで

熱力学の世界では限界までエントロピーが高まると、その時点で変化は起こらなくなり死を迎えると言われていますが

人間の熱力的死はきっとlcl化でしょうね

んでさ、エントロピーって不可逆的に増加するんすよね

つまりこの値は一度増えたが最後下がらないって事

僕らは何も知らなかった猿には戻れない

見えていたものが見えなくなってもそこにあることを僕らは知っている

 

いやでもさぁマジで変化し続けるって大事なことで、いや確かに最後には安定を求めたい気持ちもあるんだけども、安定は死なので

でも僕の意識は生きてる間しかないわけじゃないですか

死んだ後の自分は自分じゃないんですよ

まぁよしんば死ぬのは構わない、というかむしろ求めてる節がありますけれど

どう死ぬかって大事じゃないですか?なんつーんだろ、体操の着地が評価に影響するみたいな

こう人間って相反する矛盾の中で揺れながら「その中で1番自分が安心できる事ってなんぞや」みたいなのを求めますし、安定する事、しない事のどちらかを求めますけど、ちゃうんじゃないなぁと

揺れて止まるまでが大事だって話じゃないですか

A点からB点に移動するグラフってのが人生の簡略化した図ですけれど、その中で大事なのってA点B点じゃなくてその2点を繋ぐ線じゃないですか、それが人生なのでは?と思うんですよ

 

なんの話してたっけ

 

定期的な発作

人間に意思決定能力は存在しない!!

んなわけあるかい!と言いたくなりますがコレは残念ながら事実でございます

 

まぁいつもの如くイジメの話から入るのですが

やっぱ1番身近な悪例だからね!

 

これはTwitterで見たのですが

イジメ被害者が強く加害者を恨んでいるツイートを読んだんです

曰く加害者の家庭環境に問題があったとか

周囲の倫理観が歪んでいたとか

 

いえ、それらを否定するつもりはないんですよ?

ただ本質的な問題はそこじゃないと僕は思うわけです

 

いじめってのはある程度の集団で起こる現象ですよね?

そしてその集団に属する人間全員が家庭環境が崩壊してる、なんて事あります?

まぁ割合として多い、位なら分かりますけど

 

それに過激さに差異はあれどイジメと言う現象自体はどこにでも散見するものですよね

倫理規範や個人の環境は「その集団/個人がどのようなイジメなら許容できるか」を決めるだけであって「イジメをしてはいけない」とは言わない、という事です

戦争で人を殺すときは非人道的な兵器は使っちゃいけないみたいな話ですな

 

ではですよ?何故イジメは起こるのかという部分に戻りますが

これはつまり「集団」というものの性質がそうだから、という事な訳です

 

ここからが主題であり1番面白い部分なのですが、昔ある実験をした人が居まして

「アッシュの同調実験」と呼ばれている実験です

 

論文なんかは読んでいないので難しい話は自分で調べて欲しいのですが、簡単に実験の内容を説明しますと

 

まず数人の集団を形成してもらいます

そしてそのうちの1人が実験対象で後の人間は全員サクラです

そして選択式の問題を提示します

問題の内容は明らかに正解がはっきりと分かるものです

サクラは全員間違えた回答をします

この時に被験者は正しい回答を答えられるのか?

 

という内容です

 

この実験は実に恐ろしい結果が出まして

なんと被験者の7割強の人間が、明らかに間違えてた回答にも関わらず不正解を選んでしまったのです!

 

もう一つ面白い実験があります、ミルグラム実験という実験です

アイヒマン実験とも呼ばれています

 

こちらは2人の人間を教師役と生徒役に分かれさせて監視役の元行う実験です

教師役の人間が被験者であり他の人間は全てサクラです

説明が難しかったのでwikiからコピペ

 

被験者たちはあらかじめ「体験」として45ボルトの電気ショックを受け、「生徒」が受ける痛みを体験させられる。次に「教師」と「生徒」は別の部屋に分けられ、インターフォンを通じてお互いの声のみが聞こえる状況下に置かれた。被験者には武器で脅されるといった物理的なプレッシャーや、家族が人質に取られているといった精神的なプレッシャーは全くない。

「教師」はまず2つの対になる単語リストを読み上げる。その後、単語の一方のみを読み上げ、対応する単語を4択で質問する。「生徒」は4つのボタンのうち、答えの番号のボタンを押す。「生徒」が正解すると、「教師」は次の単語リストに移る。「生徒」が間違えると、「教師」は「生徒」に電気ショックを流すよう指示を受けた。また電圧は最初は45ボルトで、「生徒」が1問間違えるごとに15ボルトずつ電圧の強さを上げていくよう指示された。

電気ショックを与えるスイッチには、電圧とともに、そのショックの程度を示す言葉が表記されている。記録映像の残るある実験では以下の表記がなされた。

 

はいコピペ終わり

この実験は450ボルトまで電圧が用意されおり、15ボルトごとにその電圧の危険度が表示されています

そして

 

この実験は40人の無作為に選ばれた人間に対して行われましたが、そのうち26人が450ボルトまで電圧を上げました

生徒役が苦しそうな悲鳴を上げているにも関わらずです!

 

これらの実験結果から分かる事は集団と権威が重なった時人は選択を放棄するという事です

 

さてさて面白い知見を得たところで一旦イジメの話に戻りましょう

 

「イジメ」という言葉を使っていますが、始まりはきっと無視やばい菌扱い等のタチの悪いジョーク程度から始まったはずです

 

例えば雑巾が牛乳臭ければ何人かはばい菌扱いしますよね

勿論気分は悪いですが殊更取り立てて扱うような事柄ではないと言えます

 

しかしそれが許されている状況は側から見ればその様子は強者と弱者、少し穿った見方をするならば「権威」を感じます

そして1人また1人とその輪に参加する訳です

例えるなら共通の知り合いの噂話で盛り上がるように

 

楽しいですからね、そういうの

しかも権威のおまけ付き

 

しかしそれが集団となるとジョークでは通らなくなってきます

先ほどの実験結果にも出ている通り間違った答えも集団が望めばそれが正解になるのが人間です

つまり多数の人間から否定された場合それが「事実」になる訳です

そして周囲の人間もそれが事実であるかのように受け止め始める訳です

 

こうなってくるともうどうしようもなく

人間は別にばい菌にはならないが!?という真っ当な意見も権威と集団の前では意味を持ちません

 

でもコレって誰が悪いんでしょう?

ぶっちゃけ誰も悪くなくないですか?

 

僕もいじめられてましたけど意外とイジメに参加してる奴って個人個人で話すと普通だったりするんですよ

まぁ僕の場合そう考えろって教育の本生きてたのでだいぶ認知が歪んでて信用ならないですが…

 

あ、コレも大人っていう権威か…

この話面白いんでまた後で話します

 

まぁそんで話を戻すとですね、イジメが起こってる状況において「誰が悪い」ってのはナンセンスだと思うんですよ

「集団」になって「権威」を与えられると人間どう頑張ってアホになるってのが事実なんですから

 

だから民主主義ってクソなんだよな

あ、この話も後でします

 

しかしですよ、それでどうしようもないわって諦めるわけにもいかないですよね

 

なのでちょっと集団への対策を考えてみたのですが、あまり芳しくなく…

 

例えば戦争を例に上げれば少数で多数を駆逐した例というのはあります

一対一を10回繰り返す、という方法ですね

しかし相手の頭数を減らすなんて土台無理な話なんですよ、殺人は犯罪ですから

 

もう一つは相手より大きな集団を形成する、という方法でしょうか

しかし学校という閉鎖された環境ではそれは難しいですよね

イジメられてる状況って既に誰も被害者の話を聞かないですから

他の場所から人を説得するにも別の学区の人間を自分の学校に連れてくるわけにもいかないですし

 

一つだけ救いがあるとすれば学校は民主主義ではない、という事でしょうか

いや、民主主義ではなかったの方が正確ですかね…

 

これは体験談なのですが、僕の所属していた吹奏楽ではイジメみたいなのはほとんど無かったんです

僕の事を毛嫌いしていた人も所属してましたが、吹部の時間は最後まで何も言ってこなかったですね

これは吹部の先生の力が強かったというのが大きいと思います、めっちゃ怖い先生でしたから

そして学校で唯一僕の味方でいてくれた先生でもありました

 

つまりある種独裁主義の方がイジメは発生しないという事です!

これは人間の権威への弱さが良い方に出ているパターンですね

しかしトップの倫理観に依存するのでドイツや北朝鮮のような失敗も起こるわけです

 

僕らは自分の意思で物事を決められると思い込んでいますが、個人の意思は集団の前ではあまりに脆く脆弱です

社会に所属しない生き方もインターネット全盛期の現代では不可能でしょうね

 

そんな中で集団と権威による意思なき暴力から身を守るには、また自分も意思を捨てなくてはいけないという矛盾

人間は早く技術の進歩に追いつかなければいけません

 

はー、人類マジ愚か♡

 

こっからは超個人的な話!

この話を書こうと思った時に気づいたのですが、僕って全く少数派じゃないんですよ!

というのもですよ、僕がそれこそイジメにあってた時に親によく「相手の気持ちや立場も考えろよ」とよく言われてまして

同時に「お前は視野が狭く物事を多角的に見れない」とも言われてました!

で僕は考えた訳ですよ、多角的視野とは相手の気持ちとはなんぞや?と

引きこもりながら考え続ける訳です

引きこもりだから誰も修正してくれない訳です

そうして曲解に曲解を重ねて歪みに歪みまくった認知で僕は理解しました!

逆張りしろって事じゃね?」と

 

まぁ間違ってないけどさ…

例えば何かを選択する時にそのリスクについて考える事は多角的視野ですけども!

車に轢かれた時に「うわぁ、相手の車凹ませちゃった…どうしよう」って考えるのは相手の気持ち考えてますけども!

 

こうして限界スーパー逆張りオタクが生まれた訳です

権威を見れば噛みつき集団を見れば斬り込み民主主義を見つければシベリアに送りたがり…

でもコレって全部自分が「権威主義でミーハーで日和見主義の民主主義者」だからなんですよ!

 

ウォッチメンのコメディアンやバットマンのジョーカーに対して共感を感じれるのが唯一の楽しさでしょうか

彼らは露悪的なパロディを自ら行って、それを鏡で見て笑うような人間でしたし暴力を持って他人を排除する事を厭わない人間でしたが、その実何かと対称性を持たなければ生きていけない、他人に依存した生き方をしていました

コメディアンなら時代、ジョーカーならバットマン、それぞれが相手がいて成り立つ存在です

 

つまり何が言いたいかっていうとですね、僕も含めてコイツら全員中身がないんすよ!!!

だってただの逆張りオタクだから!!!

 

僕もただ集団のパロディを1人でしてるだけで全然ロックじゃねぇし!!!

 

といったところで自分の自我が揺らぎ始めたので次の話

 

いやマジで民主主義ってクソなんすよ

その話をする前に損失回避の法則について話しておきましょう

といってもそんな難しい話じゃなくて、ただ「人間は得をする選択肢を選ぶより損をしない選択肢を選ぶ」ってだけの話です

そして先ほどの話、雑にまとめると人は権威の元に集まると意思がなくなるという話でした

そしてトドメの話、集団極化という現象です

人は集まると良くも悪くも過剰な行動に出るという話です

つまり!民主主義とは!

「バカが過剰に損切りする」政治に他ならない!!!

まぁ流石に言い過ぎですけど、どん詰まりなのは間違いないと思いますね

少なくとも現実に乗っ取った行動は不可能でしょう

正しくない損得勘定で過剰な行動を起こす訳ですから

そしてその行動の責任は誰も取らないんですよ!?

僕はね思いますよ

「政治家って民衆のやらかしの責任取るために首切られるのが仕事なんじゃね?」って

だって決定権を持ってるのは政治家じゃなくて民衆なんですから政治家は何も決められない筈なんですよ

 

さぁみんなで独裁主義の共産主義を目指そう!

勿論元首は民意を正しく反映してくれるaiです

 

大丈夫、僕らは既に独裁主義の共産主義を知っています!

親父が勝手に子供のパンツ履いてビロビロに伸ばしたので家の貯金でパンツ買う、コレが共産主義です!

親父が尻に敷かれてる専業主婦のかかあ天下、これが独裁主義です!!

ネットの情報を見て芸能人をボロクソにリンチする僕ら、これが反映された民意です!!!

 

紅茶でも飲み干して静かに待ちましょう

 

歩み寄れる程近くはなく無視できるほど遠くもないクソ広大なインターネットの腐海の話

インターネットってクソですね

 

僕ずっと使ってるTwitterのアカウントが一つありまして

最近そのアカウントを運用していて気づいたことが一つあるんです

それは…

引用リツイートでお気持ち表明するとめちゃくちゃ創作意欲が湧くしワンチャンバズる!!

 

ただ僕自身の信条としましては、争いは避けられないとしても相互理解を諦めたくないし、それが出来ないのならせめて、争わないで済む様に遠くに離れていたい、と思うわけです

 

話は変わるのですが、壁の薄い集合住宅ってあるじゃないですか、騒音問題がよく槍玉に上がるタイプの

 

昔僕は団地に住んでいまして、まぁボロなので割とガンガン音漏れもする家屋だったんですね

で当時の僕はピアノを習っていましたのでガンガンピアノ弾いてましたし、なんなら今以上に精神が不安定だったので毎晩毎晩暴れ回ってモノをひっくり返しては叫んで、泣き疲れて寝るってのを繰り返してたわけですよ

近所のクソガキがうちの窓割りに来たりもしてましたし

ただ不思議な事に一度も騒音で苦情が来たことはなくて

確実に音自体は聞こえたいたんですよ

隣のおじさんがよくピアノ褒めてくれてたので

 

そんで現在当時よりも多少良いマンションでギターを弾いて歌っている訳ですが、まぁ苦情が多い

いや一応夜とかは避けてるんですよ?ベロベロに酔ってなければ声もあんまり出さないですし

 

この違いって多分なんですけど、団地には自治会があるのに比較して今住んでいる所はそういった地域のコミュニティみたいなのが全くないってところに理由があると思うんです

 

うちの親は団地の時は一応自治会に所属していて、僕自身のその関係で割と団地の人に可愛がってもらっていましたので、僕自身が抱えてる問題を理解してくれていたんですよね

それにこっちも向こうの都合を知ることが出来るのでお互い譲歩する余地があったんですよ

 

それに比べて今住んでいる所はそういった関係が希薄なので、どうしたってお互いに譲歩する余地はない

譲歩できないなら争うしかない

 

何かに似てませんか?

そう、インターネットです

 

インターネットの争いってこの集合住宅の騒音争いに似てると思うんですよ

最近僕が良くよく見かけるのは男女の溝についての争いですが、それ以外にも沢山の争いがありますよね

そしてそのどれもがお互いに住んでるところも思想もコミュニティも違う相手と争っているんです

 

おかしいだろ?他人だぞ?

 

僕らはインターネットという狭くて壁の薄い欠陥集合住宅に押し込められた住人なんですよ

本当だったら無視できる相手と戦ってるんですよ

しかもタチの悪い事に個人同士の戦いがすぐにその当人たちの所属するコミュニティ同士の戦いに発展しやがる訳です

 

その戦いを見るたびにそりゃどう頑張ったって理解できない相手ってのはいるけど、こんなに多い訳ないだろうと僕は思うのです

 

多分こうして戦ってる奴らも1人1人で会えば面白いヤツだったりするんですよ

まぁ最悪クソつまんないヤツだなぁ程度で済むはずなんです

なのにインターネットでは互いの思想や属性でしか相手を計れないから、こんなに血みどろの戦いをしなきゃいけなくなるんです

そりゃそうでしょうよ、ありとあらゆる文章の「ソイツが何故何故に」それを言ったのかという部分がマルッと抜け落ちてるんですから

そりゃネットリテラシーに気をつけて話せば炎上はしませんけど、ここでもう1つ問題になるのが、炎上した方が味方も金も増えるというところです

 

何を語るにしても「僕個人が」と言う語り口よりも「俺たちは」という主張の方が通りやすいですし責任も分散されますから気が楽ですよね

それにバズれば金に繋がる

 

万人による万人の闘争と言いますが、それをコミュニティ単位で、しかもそのコミュニティを次々と乗り換えて争い続けてるのが今のインターネットです

これが人間のむき出しの無意識と社会性です

 

もうさ、社会なんていらなくねぇか

政治とか経済とかもうよくねぇか

金なんて全部燃やしちまった方がみんな幸せになるんじゃないか

メガネかけてるやつはみんな死刑でよくないか

 

多分今問題になってる男女や見た目での争いってのはそのうち無くなるとは思うんですよ

ただでさえ整形や加工も流行ってますし、そのうち肉体をマルッと入れ替えられたなら少なくとも肉体による差別と争いはなくなるとは思います

でも同時に今このままインターネットが発達していけば僕らはより近しい存在になって、自己と他人の境界線も曖昧になり、その不気味さ故に周りを囲む人間全てと戦わなくてはいけなくなるでしょう

差別や区別はATフィールドなんです、僕らは本質的にLCLにはなりたくないのです

そして差別のネタは探せばいくらでも見つかります

例えばIQなら肉体を入れ替えたとしても変わりませんから、次はそこでの差別が始まるでしょうね

もしくは遺伝情報による差別でしょうか

 

僕らが他人である以上争いはなくなりません

でも同時に相互理解の機会もそれだけあると言うことです

 

それでももしこのまま人間の未熟な社会性が暴走し続けるとしたら…

 

次のポルポトが生まれるのも時間の問題なんじゃないかと思います

生きる事はクソだという話

これはつい先ほどの話なのですが、めちゃくちゃ巨大なウンコが出まして

 

そして亡くなった祖母が言ってたのですが、どうやら僕は生まれつきケツが弱かったらしく

「この子は将来痔になるねぇ」と

 

案の定先程もトイレに真っ赤な大輪を咲かせたところでございます。

 

いやねぇ、例えばリスクある行動をした結果傷つくのは仕方ないと思うんですよ。

大好きなあの子に一世一代の告白をして振られて傷つくのはね、もう仕方ないんすよ。

ムカつくやつに飛び蹴りかましたら3人がかりでボッコボコにぶん殴られてしょんべん漏らして泣きながら帰るのも、まぁ仕方ないんすよ。

 

俺はぁ!!!ウンコしてるだけなの!!!!

ウンコくらいノーコストでさせてくれよ!!!

 

まぁでもですよ

世の中ってそんなもんなのかもしれないな、とも思うわけですよ。

生きてく為には家賃を払わなきゃいけない、美味い飯は太る、道を歩くだけで転んで怪我する。

 

多分ですけど人生生きてって死ぬ間際に不幸と幸福の数を比較したら不幸の方が圧倒的に多いんです。

つーか生まれた時点で負け!赤子が泣くのは生まれ落ちた不幸故に!!!

 

まぁひどく偏った考えではありますが、概ねそんなものだと僕は思うわけです。

 

それと引き換え幸福ってのはどうにも努力やリスクと引き換えなければ手に入らないもので。

焼肉は高いし臭いし太るし、勝負事は常に負けと隣り合わせだし、大好きなあの子の好きなアイツは文武両道完全無欠だし

唯一オナニーだけは時間という(人によっては)ほぼ無価値なものとのトレードオフなのが救いでしょうか。

 

まぁここで諦めても良いかなぁと毎日考えたりもするわけです。

これニヒリズムね。

 

まぁでもですよ、死ぬのってのも意外としんどいもので

フラッシュバックってフィクションの中だと割と綺麗に描かれてますけど、ノンフィクションにクソみたいた人生を送ったやつはもう一度同じ不幸を味合わないといけないんですよ。

 

せめて走馬灯くらい楽しく見させろや!!

こういうとこホント設計ミスだと思う

 

なんの話でしたっけ、生まれた時点で負け組って話でしたっけ

 

まぁつまりですよ、僕らは生まれた時点で降りる事も難しい賭けの卓にマイナス背負って座ってるわけです。そして生きていけば生きていく程その負債は増えていくんです。

なのに幸福にならなきゃ、勝たなきゃ死ぬ事もままならないわけです。

 

もうそうなったら賭け事自体を楽しむしか、負けたってそれでも楽しかったと思うしかムリなんです。

そりゃ勝てればバンバンザイですけどね、賭け事なんて負ける確率の方が高いんですから。

 

だからですよ、我々人間は生まれてしまった以上ケツを拭く度に染みる痛みを楽しむしかないわけです。

 

ps今日の切れ痔占いは…ハート型の貴方は恋愛運アップ!憧れのあの子と痔の三段活用の話で盛り上がろう!