葦は明日を考える。

一人の人間が考えた『明日』を、つらつらと書き連ねます。

定期的な発作

人間に意思決定能力は存在しない!!

んなわけあるかい!と言いたくなりますがコレは残念ながら事実でございます

 

まぁいつもの如くイジメの話から入るのですが

やっぱ1番身近な悪例だからね!

 

これはTwitterで見たのですが

イジメ被害者が強く加害者を恨んでいるツイートを読んだんです

曰く加害者の家庭環境に問題があったとか

周囲の倫理観が歪んでいたとか

 

いえ、それらを否定するつもりはないんですよ?

ただ本質的な問題はそこじゃないと僕は思うわけです

 

いじめってのはある程度の集団で起こる現象ですよね?

そしてその集団に属する人間全員が家庭環境が崩壊してる、なんて事あります?

まぁ割合として多い、位なら分かりますけど

 

それに過激さに差異はあれどイジメと言う現象自体はどこにでも散見するものですよね

倫理規範や個人の環境は「その集団/個人がどのようなイジメなら許容できるか」を決めるだけであって「イジメをしてはいけない」とは言わない、という事です

戦争で人を殺すときは非人道的な兵器は使っちゃいけないみたいな話ですな

 

ではですよ?何故イジメは起こるのかという部分に戻りますが

これはつまり「集団」というものの性質がそうだから、という事な訳です

 

ここからが主題であり1番面白い部分なのですが、昔ある実験をした人が居まして

「アッシュの同調実験」と呼ばれている実験です

 

論文なんかは読んでいないので難しい話は自分で調べて欲しいのですが、簡単に実験の内容を説明しますと

 

まず数人の集団を形成してもらいます

そしてそのうちの1人が実験対象で後の人間は全員サクラです

そして選択式の問題を提示します

問題の内容は明らかに正解がはっきりと分かるものです

サクラは全員間違えた回答をします

この時に被験者は正しい回答を答えられるのか?

 

という内容です

 

この実験は実に恐ろしい結果が出まして

なんと被験者の7割強の人間が、明らかに間違えてた回答にも関わらず不正解を選んでしまったのです!

 

もう一つ面白い実験があります、ミルグラム実験という実験です

アイヒマン実験とも呼ばれています

 

こちらは2人の人間を教師役と生徒役に分かれさせて監視役の元行う実験です

教師役の人間が被験者であり他の人間は全てサクラです

説明が難しかったのでwikiからコピペ

 

被験者たちはあらかじめ「体験」として45ボルトの電気ショックを受け、「生徒」が受ける痛みを体験させられる。次に「教師」と「生徒」は別の部屋に分けられ、インターフォンを通じてお互いの声のみが聞こえる状況下に置かれた。被験者には武器で脅されるといった物理的なプレッシャーや、家族が人質に取られているといった精神的なプレッシャーは全くない。

「教師」はまず2つの対になる単語リストを読み上げる。その後、単語の一方のみを読み上げ、対応する単語を4択で質問する。「生徒」は4つのボタンのうち、答えの番号のボタンを押す。「生徒」が正解すると、「教師」は次の単語リストに移る。「生徒」が間違えると、「教師」は「生徒」に電気ショックを流すよう指示を受けた。また電圧は最初は45ボルトで、「生徒」が1問間違えるごとに15ボルトずつ電圧の強さを上げていくよう指示された。

電気ショックを与えるスイッチには、電圧とともに、そのショックの程度を示す言葉が表記されている。記録映像の残るある実験では以下の表記がなされた。

 

はいコピペ終わり

この実験は450ボルトまで電圧が用意されおり、15ボルトごとにその電圧の危険度が表示されています

そして

 

この実験は40人の無作為に選ばれた人間に対して行われましたが、そのうち26人が450ボルトまで電圧を上げました

生徒役が苦しそうな悲鳴を上げているにも関わらずです!

 

これらの実験結果から分かる事は集団と権威が重なった時人は選択を放棄するという事です

 

さてさて面白い知見を得たところで一旦イジメの話に戻りましょう

 

「イジメ」という言葉を使っていますが、始まりはきっと無視やばい菌扱い等のタチの悪いジョーク程度から始まったはずです

 

例えば雑巾が牛乳臭ければ何人かはばい菌扱いしますよね

勿論気分は悪いですが殊更取り立てて扱うような事柄ではないと言えます

 

しかしそれが許されている状況は側から見ればその様子は強者と弱者、少し穿った見方をするならば「権威」を感じます

そして1人また1人とその輪に参加する訳です

例えるなら共通の知り合いの噂話で盛り上がるように

 

楽しいですからね、そういうの

しかも権威のおまけ付き

 

しかしそれが集団となるとジョークでは通らなくなってきます

先ほどの実験結果にも出ている通り間違った答えも集団が望めばそれが正解になるのが人間です

つまり多数の人間から否定された場合それが「事実」になる訳です

そして周囲の人間もそれが事実であるかのように受け止め始める訳です

 

こうなってくるともうどうしようもなく

人間は別にばい菌にはならないが!?という真っ当な意見も権威と集団の前では意味を持ちません

 

でもコレって誰が悪いんでしょう?

ぶっちゃけ誰も悪くなくないですか?

 

僕もいじめられてましたけど意外とイジメに参加してる奴って個人個人で話すと普通だったりするんですよ

まぁ僕の場合そう考えろって教育の本生きてたのでだいぶ認知が歪んでて信用ならないですが…

 

あ、コレも大人っていう権威か…

この話面白いんでまた後で話します

 

まぁそんで話を戻すとですね、イジメが起こってる状況において「誰が悪い」ってのはナンセンスだと思うんですよ

「集団」になって「権威」を与えられると人間どう頑張ってアホになるってのが事実なんですから

 

だから民主主義ってクソなんだよな

あ、この話も後でします

 

しかしですよ、それでどうしようもないわって諦めるわけにもいかないですよね

 

なのでちょっと集団への対策を考えてみたのですが、あまり芳しくなく…

 

例えば戦争を例に上げれば少数で多数を駆逐した例というのはあります

一対一を10回繰り返す、という方法ですね

しかし相手の頭数を減らすなんて土台無理な話なんですよ、殺人は犯罪ですから

 

もう一つは相手より大きな集団を形成する、という方法でしょうか

しかし学校という閉鎖された環境ではそれは難しいですよね

イジメられてる状況って既に誰も被害者の話を聞かないですから

他の場所から人を説得するにも別の学区の人間を自分の学校に連れてくるわけにもいかないですし

 

一つだけ救いがあるとすれば学校は民主主義ではない、という事でしょうか

いや、民主主義ではなかったの方が正確ですかね…

 

これは体験談なのですが、僕の所属していた吹奏楽ではイジメみたいなのはほとんど無かったんです

僕の事を毛嫌いしていた人も所属してましたが、吹部の時間は最後まで何も言ってこなかったですね

これは吹部の先生の力が強かったというのが大きいと思います、めっちゃ怖い先生でしたから

そして学校で唯一僕の味方でいてくれた先生でもありました

 

つまりある種独裁主義の方がイジメは発生しないという事です!

これは人間の権威への弱さが良い方に出ているパターンですね

しかしトップの倫理観に依存するのでドイツや北朝鮮のような失敗も起こるわけです

 

僕らは自分の意思で物事を決められると思い込んでいますが、個人の意思は集団の前ではあまりに脆く脆弱です

社会に所属しない生き方もインターネット全盛期の現代では不可能でしょうね

 

そんな中で集団と権威による意思なき暴力から身を守るには、また自分も意思を捨てなくてはいけないという矛盾

人間は早く技術の進歩に追いつかなければいけません

 

はー、人類マジ愚か♡

 

こっからは超個人的な話!

この話を書こうと思った時に気づいたのですが、僕って全く少数派じゃないんですよ!

というのもですよ、僕がそれこそイジメにあってた時に親によく「相手の気持ちや立場も考えろよ」とよく言われてまして

同時に「お前は視野が狭く物事を多角的に見れない」とも言われてました!

で僕は考えた訳ですよ、多角的視野とは相手の気持ちとはなんぞや?と

引きこもりながら考え続ける訳です

引きこもりだから誰も修正してくれない訳です

そうして曲解に曲解を重ねて歪みに歪みまくった認知で僕は理解しました!

逆張りしろって事じゃね?」と

 

まぁ間違ってないけどさ…

例えば何かを選択する時にそのリスクについて考える事は多角的視野ですけども!

車に轢かれた時に「うわぁ、相手の車凹ませちゃった…どうしよう」って考えるのは相手の気持ち考えてますけども!

 

こうして限界スーパー逆張りオタクが生まれた訳です

権威を見れば噛みつき集団を見れば斬り込み民主主義を見つければシベリアに送りたがり…

でもコレって全部自分が「権威主義でミーハーで日和見主義の民主主義者」だからなんですよ!

 

ウォッチメンのコメディアンやバットマンのジョーカーに対して共感を感じれるのが唯一の楽しさでしょうか

彼らは露悪的なパロディを自ら行って、それを鏡で見て笑うような人間でしたし暴力を持って他人を排除する事を厭わない人間でしたが、その実何かと対称性を持たなければ生きていけない、他人に依存した生き方をしていました

コメディアンなら時代、ジョーカーならバットマン、それぞれが相手がいて成り立つ存在です

 

つまり何が言いたいかっていうとですね、僕も含めてコイツら全員中身がないんすよ!!!

だってただの逆張りオタクだから!!!

 

僕もただ集団のパロディを1人でしてるだけで全然ロックじゃねぇし!!!

 

といったところで自分の自我が揺らぎ始めたので次の話

 

いやマジで民主主義ってクソなんすよ

その話をする前に損失回避の法則について話しておきましょう

といってもそんな難しい話じゃなくて、ただ「人間は得をする選択肢を選ぶより損をしない選択肢を選ぶ」ってだけの話です

そして先ほどの話、雑にまとめると人は権威の元に集まると意思がなくなるという話でした

そしてトドメの話、集団極化という現象です

人は集まると良くも悪くも過剰な行動に出るという話です

つまり!民主主義とは!

「バカが過剰に損切りする」政治に他ならない!!!

まぁ流石に言い過ぎですけど、どん詰まりなのは間違いないと思いますね

少なくとも現実に乗っ取った行動は不可能でしょう

正しくない損得勘定で過剰な行動を起こす訳ですから

そしてその行動の責任は誰も取らないんですよ!?

僕はね思いますよ

「政治家って民衆のやらかしの責任取るために首切られるのが仕事なんじゃね?」って

だって決定権を持ってるのは政治家じゃなくて民衆なんですから政治家は何も決められない筈なんですよ

 

さぁみんなで独裁主義の共産主義を目指そう!

勿論元首は民意を正しく反映してくれるaiです

 

大丈夫、僕らは既に独裁主義の共産主義を知っています!

親父が勝手に子供のパンツ履いてビロビロに伸ばしたので家の貯金でパンツ買う、コレが共産主義です!

親父が尻に敷かれてる専業主婦のかかあ天下、これが独裁主義です!!

ネットの情報を見て芸能人をボロクソにリンチする僕ら、これが反映された民意です!!!

 

紅茶でも飲み干して静かに待ちましょう