葦は明日を考える。

一人の人間が考えた『明日』を、つらつらと書き連ねます。

「鬼滅の刃は何故面白いのか=作品の感想を自分で考える時代は終わった→そして起きること」感想、あと僕のコミュニティ論とか。

https://anond.hatelabo.jp/20201104013753

どうも、誰にもなれない人間モドキ、まぢかるです。

今回冒頭に貼ってある記事なんですけど、とても面白いんですよ!!

だからそれを読んでる時の自分の感情の推移とかを書きたいなーと思ったので!書きます!

えー、その前に色々と与太話をさせてもらいましょうかね。

僕は僕が勝手に決めた人間の定義ってのを考えててこれは3つあるんですけど、まずそれを書きますね。

① 自分が行動するのかしないのかを自分で選択する事。

「してるが?」って思います?思うだけなら大丈夫、でも「してるが?」と声に出したとしたら、貴方は自分で自分の行動のする、しないを自分で選択する事は出来てません。

これはどっかの誰かの研究なんですけど、僕たちが普段自分の意思だと思っているものは実は脳味噌に「これはお前の意思だぜ」と騙されてるだけなんですよね。

いやまぁ意味不明なのは分かってます。詳しくは下記のリンクをどーぞ。

https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/

 

読むのが面倒くさいって人のために掻い摘んで書いておきます。

例えば貴方が手を握りたいとしましょう。多分貴方はこう思っていますよね?

「自分の行動プロセスは『自分が手を握りたいと思う』→『手を握る』となる」と。

ですか実際は「脳が『手を握る』と命令を出す準備をする」→「脳が命令を送る」「自分は手を握ると考えたと感じる」→「命令が届き手が握られる」という過程を踏んでいます。ちなみにこの脳が準備をして手が握られるまでの時間は0.2秒程らしいです。

まぁつまり我々人間が考える前に、既に我々の意思決定は脳によって決められてるという事ですね。これだけ聞くと「自我」や「自由意志」といったものが揺らいでしまうと思います。

ですが大丈夫!この脳が命令の準備をし我々が「思った!」と感じた瞬間と、実際に命令が実行されるまでの0.2秒の間にだけ、人間はその命令をキャンセルする事が出来るんです!!!

まぁでも0.2秒という短い時間じゃ流石にどうしようも無いですよね。

でも、それならですよ?この0.2秒を何度も何度も繰り返して、沢山迷えば良いと思いませんか?

それが「自分が行動するかしないかを自分で決める事」もっと短くいうなら「迷う事」だと僕は思ってます。

これが出来れば少なくとも動物と同じレベルになれます。

 

② 自我を持つ事

さてさて、これがこの今回の記事を読んだ感想とも繋がってくるんですが、まぁダラダラ書いていきましょうかね。

多分①と同じじゃねぇかよって貴方は思ったかもしれないんですけど、ちょっと僕の中では違くて

ざっくり言うと「コミュニティの幸福≠貴方の幸福」って話なんですよ。

まぁ例えば人を殺してはいけませんってルールがあるじゃないですか、あれって大多数の人間は殺されたくないし、殺したくないから、そういうルールがある訳ですよね?

でももし貴方が人を殺す事でしか幸福になれないサイコパス野郎だとしたら、貴方はそのルールがあるコミュニティの中では絶対に幸福になれませんよね。

「いや、サイコパス野郎の事なんてしらねぇよ」って思うと思うんですけど、割とそうでもなくて

もう一つ例をあげれば同性同士で愛し合ってはいけませんって風潮、社会的規範のようなものがありましたよね。

あれは大多数の人間は同性同士では愛し合わないばかりか、同性同士でセックスした結果エイズが蔓延したっていう事があってそういう事になったんですよね。

んで、これくらいスケールダウンした例なら多分想像つくと思うんですけど、もし貴方の好きな相手が貴方と同じ性別だったら貴方はそのコミュニティでは絶対に幸福になれませんよね。

だから「コミュニティの幸福≠貴方の幸福」なんですよね。

んで、そのコミュニティのルールに従うか従わないかという選択は貴方が決める事であって、コミュニティが強制できるものでは無いんですよ、本来は。

でも基本的に多くの方は「ルールに従う」という選択肢しか持ち合わせていないと僕は感じます。そこでルールに従わないという選択肢も持ち合わせる事が僕は自我を持つという事だと思います。

これが出来ればコミュニティの家畜ではない、コミュニティと共生できる動物だと僕は考えます。

あ、人間の定義その③は愛を持つ事です。

愛こそ動物と人間を分ける1つだけの壁だと僕は思うので。はい。

 
さてさて、これでやっと本題に戻れます。

えーと、冒頭の記事の内容なんですけど掻い摘んで言えば「他人が貴方を代弁する時代が来る」という事ですね、

まぁ僕も来ると思います。それは最早避けられないと思います。

 

それも悪く無いと思います。

貴方が他人の語る「貴方っぽい何か」で満足出来るならですが。

ただ僕はその時代の到来に一つ大きな危惧があります。

それは「貴方っぽい何か」で満足できなかった人が排除されるのではないか、という事です。

僕は昨今のコミュニティは実に排他的だと思います。

例えば自分たちのコミュニティに属さない出来事に対して「コミュニティに入れない」のならば分かります。

しかし、昨今で多く見られるのはコミュニティに属さず、ただそこにあるだけの出来事に対してまで、コミュニティのルールに従えないのならば排除していく、という姿勢です。

何故ここまで群衆心理が暴走するのか、という理由はきっとネット関連の技術の発達の賜物と言えるでしょう。

コミュニティの明瞭化、コミュニティに属する人間の増える速度の増加、そして何よりコミュニティの存在しない場所がどこにも無い事。

もはや我々は常に複数のコミュニティから群衆心理的圧力をかけられ続けています。自らの自我を手放してしまう人間がいても不思議では無いと思います。

そしてコミュニティに属する人間が残らず自我を手放した時、そこに属する人間達を贄に、今まで僕がコミュニティと呼んでいたモノが本当の意味でこの世界に顕現します。

それは人に認知出来る自我を持たず、責任を持たず、実体を持たず、しかし自らを維持する為に他を貪り食い続ける化け物です。

人と人とを隔てる壁が全て打ち壊されて1つのコミュニティとなった時、人間は一体何になるのでしょう?

僕が小学生の時に見た化け物はその存在を維持する為に僕を喰らおうとしました。

所謂スケープゴート論です。コミュニティを維持する為にはどうしても必要になるモノです。

スケープゴート論に関しては下記のリンクどーぞ。

https://synodos.jp/society/18244

あと蝿の王とか読むと良いかもですね。

さて、では全ての人が1つの化け物になってしまったら何を食うのでしょうか。

その時化け物を形作る細胞となった人間達は幸福なのでしょうか。

一つ安心出来る事はこの世界に存在する万物ありとあらゆるモノはいつか壊れるという点です。

 
さてさて、それでは皆様に幸福な死が訪れますように。おやすみなさい。