はいはい、挨拶します。
「(こんにちはとか、お日柄とよくとかそんな感じのアレ)」
しました。
忘れる前に本題に入ります。
僕は言葉は大きな力をもっていると思います。
例えば、同じ空でえ「星達の沈む海に浮かぶ太陽」みたいな表現をしたなら、なんだか空虚に感じますし「雲を貫く鋭い光線」の様な表現をしたなら、太陽の恐ろしさやそのチカラを感じる気がしませんか?
でも、だからこそ僕は言葉というものが怖いです。
何故なのか?と思いますか。
思ってくれると次の話に繋げやすいので思ってください。
ではその問いに答えましょう!!
といっても別にそこまで大した内容ではないですが。
Q.なぜ僕は言葉が怖いのか。
A.さっきの二つの文章は同じ時間に同じ空をみた同じ僕が思った二つの感想だからです。
なんだか混沌としてきました……。続きを書きます。
さてさて、さっきの二つの文章を見た時に貴方は同じ空だと思いましたか?同じ時刻だと思いましたか?多分答えはNOだと僕は予測しています。
NOではない人は多分こっち側の人なので多くの人間はきっとそういう風に感じているんだろう、と考えてその多くの人になりきって続きを読んでください。
僕が言葉の欠陥だと思う事。
いえいえ、欠陥といっても大そうなモノではないです。少なくとも貴方がこれからこのまま生きていけると思うのなら。
今までは文章というモノを見ていましたが少し遡り言葉というモノを見てみましょう。
「青」という言葉を見て貴方は何を感じますか?別になんでもいいので想像してみてください。
まぁこれに関しては千差万別だと思います。水色や紺色などの色々な青を想像した人も居ると思いますし最近見た青いモノを想像する人もいるでしょう。先程空の話をしたのでそれがよぎった人も多いのではないでしょうか。
それではもう少し文章に近づけて行きます。
「青いボールペン」ゆっくりと想像してください。具体的には0.5秒(もしかしたら0.2秒だったかもしれません)を10回ほど繰り返すイメージです。つまり5秒。
1…
2…
3…
4…
5…
本当に考えました?まさか高速スクロールなんてしてませんよね?もし貴方が高速スクロールをしてこの文章を読んだならやり直して下さい。貴方の自由意志で想像してください。
想像しましたね?選択肢は「イエス」or「はい」です。
さて何を想像しましたか?まぁ多分また千差万別でしょうね。大丈夫、なんでも良いんです。
さてさて「青いボールペン」コレは今僕が手にして直に感じているモノです。
本当にその辺りにあった青いボールペンです。他の何物でもないです。
僕はこのボールペンから物理的に音と触感と映像を感じました。
貴方は感じましたか?多分考えてもみなかったと思います。
僕は自分が手に取り触り聞き見たモノの名前を書きました。ですが貴方は僕がみたモノを感じる事が出来ませんでした。
コレが言葉の怖さだと僕が思う点です。
もちろん、いくらでも僕が感じた感覚を言葉にする事はできます。カチカチという音、サラッとした描き心地、青いインクの色。
ですがコレは貴方がこのボールペンを実際に手にとって感じる感覚とは違うモノです。
例えば聴覚過敏の方などはカチカチという音に強い不快感を覚える方もいるかもしれませんね。
それに「なんだかわからないけどイライラする」「理由も分からないけれど恐ろしい」そんな出来事を貴方は言葉のみで表現できますか?
いや、出来る方も居るとは思いますが、多くの人間は無理でしょう。
ほら今「うわ、なんだこいつなんかムカつくな」って思いましたよね?
「なんか」って思いましたよね?その「なんか」の正体を貴方は説明できますか?それも僕に理解できる言葉で。
別に良いんです。それが言葉の欠陥なのです。
貴方が「なんか」を説明できない理由は簡単です。それは貴方が今までそれを表現する必要性に駆られなかったからです。
何故なら自分とかけ離れた感覚、感性を持つ人間や動物を理解しなくても貴方の周囲には貴方と近しい感性を持つ人間がいてその中で生きていくのなら不自由はないのですから。
批判ではないですよ、それは素晴らしい事でありとても幸福な事です。是非貴方はその場所を大切にして下さい。
ですが同時に恐ろしい事でもあります。何故なら貴方の周囲に居る貴方と近しい感性を持つ人間でさえ貴方と同じ感性を持った人間ではないからです。
それでは簡単にまとめましょう。
Q.言葉の欠陥とは何か?
A.言葉や文章はそれ単体では意味を為さず、それを読む人間の知識や経験によってもたらされる想像に寄る部分が大きいから。かといって状況のみを詳細に記した場合は文章というよりは記録となり、しかし感情を織り混ぜて書いて仕舞えば、その解釈は一辺倒になり、理解を超えて共感を呼ぶ可能性があるから。
それでは少し話を進めて本題へと入っていきたいと思います。
言葉の欠陥を補う方法
もし言葉に出来ない程強烈な刺激を表現するとしたらどのような表現が適切でしょうか?
もし貴方が貴方の持ちうる感情を全て適切な言葉で表現できる人ならばこんなクソブログなんて読んでる時間は勿体ないです。貴方は今すぐ芥川賞に応募してこんなクソブログの事はすぐにでも忘れ去るべきです。さようなら。
ん……この文章を読んでいるという事は貴方は言葉にできなかったのですね。大丈夫です。他にも方法はいくらでもあります。
だって人は言葉だけで意思疎通を行なっているわけではありません。むしろ僕は言葉は蛇足だとさえ思います。
例えば、今貴方の目の前にムカつくヤツが居て今にも今にも貴方の大切なモノを壊そうとしています。この時に貴方がもっている感情は怒りです。どうしたらこの怒りが相手に伝わるのか?
簡単ですね、ただぶん殴ればいいんです。思いっきり怒りを込めてぶん殴るんです。
じゃあとてもハッピーな気分を伝えたい時は?
踊りましょう。歌いましょう。笑ましょう。
どうですか?簡単だと思いませんか?僕は無駄に言葉を弄するよりもよっぽど分かりやすいと思います。
殴られた相手は貴方がどれほど怒っているのかを感じるでしょう。しかし貴方の気持ちに共感する事は無いです。
理解はするが共感はしない。とても大切な事だと思います。
もし貴方が立場上怒りのままに暴れる事や大声で笑う事、そのような感情表現が許されないのなら、歌を作ってください。 悲しい気持ちならマイナーコードを使って、楽しいのならメジャーコードを使ってください。
歌詞は最初は「ラララ」で良いです。ただ貴方の心の赴くままに囁き、呻き、叫べばそれでもうそれは貴方の歌です。曲としての体裁はコードが作ってくれます。
絵を描くのもいいでしょう。貴方の見えた、感じたモノ、貴方の欲しいモノ、それらを描いてみて下さい。
さてさて、ここまで読んでいただきありがとうございました。読んでくれてなくてもありがとうございました。
それでは、皆様の幸福なる死を願って、おやすみなさい。
(この記事はワードプレスからの移転です)