葦は明日を考える。

一人の人間が考えた『明日』を、つらつらと書き連ねます。

希望があるからこそ頑張れるって本当?って話

はい、笑える地獄をお届けします、まぢかるです。

よく言うじゃないですか「希望があるから頑張れる、耐えられる」って

でも僕は違うと思ってて

僕は「希望がないから耐えられる」と思うんですよね

勿論万人に当てはまるとは思いませんが、少なくとも僕はそうでした。

例えば「自分は孤独だ」と思うとします。

それはとても辛く悲しい気持ちで、早く救われたい、この気持ちから抜け出したいと思うようなものです。

でも「自分は死ぬまで救われない」と確信めいた気持ちがあれば、救われたいとか、助けて欲しいとか、そこから抜け出そうとか、思いませんよね

どうやってこの孤独と付き合っていくのかを模索すると思います。

怒りも同じです。

とても嫌な思いをして大きな怒りを抱えた時でも「自分が怒っても泣いても誰も助けてはくれない」と最初から思っているなら他人に何かを求めようとは思いませんし、その怒りが自分ですら解消できないような大きな感情であれば、そのうち「怒り」を感じる事すら忘れてしまいます。

そうやって僕は自分の感情と付き合って、もしくは無視して生きてきました。

別に自分に感情が無いとか言ってるわけでは無くて、そういう感情に気づけないって話です。

まぁでも気づいていなくても感情は蓄積されていくらしくて、ある日そういった感情が噴出して、歌を作るわけですね。

なので多分僕の中にも普通の人が感じる程度の怒りや悲しみもあるはずなんですけど、それが全く分からないんですよねぇ……

 
最近僕は他人に「優しい」と評される事が多いのですが、それは僕が自分の欲求を満たす事を諦めていて、だから他人に優しくできるだけであって、もし僕が救われる価値のある人間だと僕自身が感じてしまったら多分僕は多くの人間を傷つけてでも自分を救おうとしてしまうでしょう。

だから僕は「希望が無いから耐えられる」のだし、「希望がないから耐えれる」と思い続けなければいけないのです。

 
早く仮面ライダーになりたいですねー

今日のボヤきは以上ですー、皆様に良い週末を〜おやすみなさい

部屋でうんこした話。

まだ死んでないです。まぢかるです。

 

 

僕が怒りのあまりに部屋で脱糞した話は、友人間では中々に有名な話なのですが、改めて当時の気持ちを振り返ってみようかなと。

と、その前にそこまでの経緯を少々語らせて頂きます。

 

きっかけは些細な事でした。

テレビの朝のニュース番組をボーッと眺めていた時のことです。

その内容は「〇〇被告の裁判での内容がナンタラ」と言った内容でした。

さてさて年中無職でやる事もない僕は、日がな一日snsを意味もなく見ているのですが(きっと多くの無職もそうでしょう)その日もニュースを見た後に特に意味もなくsnsを眺めていました。

しかしなんだが誰もがピリピリした様子。

詳細を追っていくと、どうやら〇〇被告についての話のようでした。

そこで見た内容は〇〇被告に対しての罵詈雑言、彼の出世に関しての話など見るに堪えない内容ばかりでした。

 

僕は思いました。「犯罪者や非倫理的な人間は差別されるのだ」と。

何故か無性に悲しくなりました。

論者達は特段彼からの被害を受けたわけではないのに、彼らは何故そこまで怒っているのか、僕には理解できませんでした。

 

勿論犯罪行為や非倫理的行為は社会において非難されるべき行動かもしれません。

しかし非難されるべきは行いでありその人間そのものでは無いとも思います。

 

まぁ、僕が被害者ならそれでも犯人を憎むでしょうし、損失を受けた大多数の人もそうだと思います。

でも彼らは、その〇〇被告からの被害を受けているわけではありません。

 

兎にも角にもその当時の僕にはその彼らの「怒り」への怒りを持っていました。

 

誰にだって怒りという感情はあります。ありますよね??

 

そして怒りという感情は往々にして誰かを、何かを傷つけてしまいがちです。

また「非倫理的な行為」というものがあります。端的にいうとその行為を行うと社会的に悪と認知されます。

 

僕は「部屋でウンコをする」という行為でこの二つのテーマに挑んだ訳ですね。

まず一つは誰も傷つけずに、なんなら笑えてしまうような方法で怒りを表現する事。

もう一つは誰も傷つけずに社会的悪となる事。

 

なぜこの二つなのかという事なのですが、当時の事をあまり覚えてないので曖昧なのですが

確か、「犯罪者は悪人である。故に差別しても良い」という論調が当時とてつもなく気に食わなかったんですよね。

悪人、善人、常人、誰でも人間だって事は変わらない訳で。良いこと悪いことの基準だって(◯◯にとって都合の)良いこと、(◯◯にとって都合の)悪いこと、以上の意味を持ちませんし。

 

それより怒りの感情で他人を平気で傷つける奴の方がよっぽど悪いやつだと僕は思ったんですよね、確か。

 

そうした思いを込めて、僕は部屋でウンコした訳ですよ。

いやぁ今にして思えば、個人的にはかなりベストバウトでしたね。

人間的感情と社会的善悪の対立というなんだかよく分からんテーマを漫才的な内容によく落とし込んだと思います。

 

みんなもしようぜ、うんち!

 

ってな感じでとりあえずは締めさせていただきます〜

皆様に素晴らしい終わりの在らんことを〜アンバサ〜

うんこちんちんおしっこは万国共通語なのか?という話。

いや、だってカートゥーンアニメでもうんこで笑わせにくるシーンはありますよね?

あとはチンチンぶつけて悶えるシーンはきっとどの世界の人達でも笑うと思うんですよ。

おしっこは一段落ちますが、うんこちんちんに次いで登場回数が多いと感じます。

そして、これらの要素を含む「笑い」は多くの層が見るであろう時間帯のテレビやインターネットなどでも使われており、かなりポピュラーな要素であると考えられます。

 
とここまで前置きです。以下はメモからの抜粋です。

 
うんこの話

うんこちんちんは面白い。何故か?うんこちんちんは人間が善悪の区別も無い赤子の時からあるものだから

マンコは無いのか?という疑問には赤子は子供を作る機能を持たないのでマンコは無いというのが持論

うんこは善悪を区別しない。赤子がうんこをする事は成長への第一歩だがうんこ自体は汚いものだし(排泄物だから当然)うんこを漏らすという事は失敗であるとも言える。

故に、うんこは善悪性別の垣根無く誰にでも普遍的に存在するものであり、またそのうんこの存在を笑って許せなければ生きていく事もままならないと言える。

もしうんこの存在を笑って許せない人間であっても死ぬ時はクソと小便を垂れ流しながら死ぬのに、その時になって「あぁ自分はクソと小便を漏らして情けない」だなんて思いたく無いでしょう?だからもし「うんこ」で笑った事がない人が今この記事を読んでいるなら、とりあえず「うんこ」で笑っても良いんだ!うんこで笑おうという事をしてみてほしい

話が飛躍したが、つまるところうんこは全ての人間が平等にするし、ちんこは幼児のある種の象徴である。またこれらが絡むエピソードの多くは失敗談であり、そのエピソードを語る人物の変えられない幼児の時から持っている本質の様なものが垣間見える。「しかし赤ちゃんだから仕方ねーだろ」の精神で笑えてしまう。

大人だから赤子じゃないんじゃなくて、赤子であり大人なんです。大人と赤子という言葉で理解しにくいなら人間と動物に置き換えてもらっても良いです。

 
メモからの抜粋は以上になります。

後々修正はかけるかもしれませんが、とりあえずはここまで。

ではでは、皆様に幸福な死が訪れますように〜。おやすみなさい。

 

(この記事はワードプレスからの移転です)

 

言葉にするなら言葉にならない、ならばどうしよう?とかそんな感じの話

はいはい、挨拶します。

「(こんにちはとか、お日柄とよくとかそんな感じのアレ)」

しました。

忘れる前に本題に入ります。

僕は言葉は大きな力をもっていると思います。

例えば、同じ空でえ「星達の沈む海に浮かぶ太陽」みたいな表現をしたなら、なんだか空虚に感じますし「雲を貫く鋭い光線」の様な表現をしたなら、太陽の恐ろしさやそのチカラを感じる気がしませんか?

でも、だからこそ僕は言葉というものが怖いです。

何故なのか?と思いますか。

思ってくれると次の話に繋げやすいので思ってください。

ではその問いに答えましょう!!

といっても別にそこまで大した内容ではないですが。

 
Q.なぜ僕は言葉が怖いのか。

A.さっきの二つの文章は同じ時間に同じ空をみた同じ僕が思った二つの感想だからです。

 

なんだか混沌としてきました……。続きを書きます。

 

さてさて、さっきの二つの文章を見た時に貴方は同じ空だと思いましたか?同じ時刻だと思いましたか?多分答えはNOだと僕は予測しています。

NOではない人は多分こっち側の人なので多くの人間はきっとそういう風に感じているんだろう、と考えてその多くの人になりきって続きを読んでください。

僕が言葉の欠陥だと思う事。
いえいえ、欠陥といっても大そうなモノではないです。少なくとも貴方がこれからこのまま生きていけると思うのなら。

今までは文章というモノを見ていましたが少し遡り言葉というモノを見てみましょう。

「青」という言葉を見て貴方は何を感じますか?別になんでもいいので想像してみてください。

まぁこれに関しては千差万別だと思います。水色や紺色などの色々な青を想像した人も居ると思いますし最近見た青いモノを想像する人もいるでしょう。先程空の話をしたのでそれがよぎった人も多いのではないでしょうか。

それではもう少し文章に近づけて行きます。

「青いボールペン」ゆっくりと想像してください。具体的には0.5秒(もしかしたら0.2秒だったかもしれません)を10回ほど繰り返すイメージです。つまり5秒。

1…

2…

3…

4…

5…

本当に考えました?まさか高速スクロールなんてしてませんよね?もし貴方が高速スクロールをしてこの文章を読んだならやり直して下さい。貴方の自由意志で想像してください。

 
想像しましたね?選択肢は「イエス」or「はい」です。

さて何を想像しましたか?まぁ多分また千差万別でしょうね。大丈夫、なんでも良いんです。

さてさて「青いボールペン」コレは今僕が手にして直に感じているモノです。

本当にその辺りにあった青いボールペンです。他の何物でもないです。

僕はこのボールペンから物理的に音と触感と映像を感じました。

貴方は感じましたか?多分考えてもみなかったと思います。

僕は自分が手に取り触り聞き見たモノの名前を書きました。ですが貴方は僕がみたモノを感じる事が出来ませんでした。

コレが言葉の怖さだと僕が思う点です。

もちろん、いくらでも僕が感じた感覚を言葉にする事はできます。カチカチという音、サラッとした描き心地、青いインクの色。

ですがコレは貴方がこのボールペンを実際に手にとって感じる感覚とは違うモノです。

例えば聴覚過敏の方などはカチカチという音に強い不快感を覚える方もいるかもしれませんね。

それに「なんだかわからないけどイライラする」「理由も分からないけれど恐ろしい」そんな出来事を貴方は言葉のみで表現できますか?

いや、出来る方も居るとは思いますが、多くの人間は無理でしょう。

ほら今「うわ、なんだこいつなんかムカつくな」って思いましたよね?

「なんか」って思いましたよね?その「なんか」の正体を貴方は説明できますか?それも僕に理解できる言葉で。

別に良いんです。それが言葉の欠陥なのです。

貴方が「なんか」を説明できない理由は簡単です。それは貴方が今までそれを表現する必要性に駆られなかったからです。

何故なら自分とかけ離れた感覚、感性を持つ人間や動物を理解しなくても貴方の周囲には貴方と近しい感性を持つ人間がいてその中で生きていくのなら不自由はないのですから。

批判ではないですよ、それは素晴らしい事でありとても幸福な事です。是非貴方はその場所を大切にして下さい。

ですが同時に恐ろしい事でもあります。何故なら貴方の周囲に居る貴方と近しい感性を持つ人間でさえ貴方と同じ感性を持った人間ではないからです。

それでは簡単にまとめましょう。

Q.言葉の欠陥とは何か?

A.言葉や文章はそれ単体では意味を為さず、それを読む人間の知識や経験によってもたらされる想像に寄る部分が大きいから。かといって状況のみを詳細に記した場合は文章というよりは記録となり、しかし感情を織り混ぜて書いて仕舞えば、その解釈は一辺倒になり、理解を超えて共感を呼ぶ可能性があるから。

 

 

それでは少し話を進めて本題へと入っていきたいと思います。

言葉の欠陥を補う方法
もし言葉に出来ない程強烈な刺激を表現するとしたらどのような表現が適切でしょうか?

もし貴方が貴方の持ちうる感情を全て適切な言葉で表現できる人ならばこんなクソブログなんて読んでる時間は勿体ないです。貴方は今すぐ芥川賞に応募してこんなクソブログの事はすぐにでも忘れ去るべきです。さようなら。

 
ん……この文章を読んでいるという事は貴方は言葉にできなかったのですね。大丈夫です。他にも方法はいくらでもあります。

だって人は言葉だけで意思疎通を行なっているわけではありません。むしろ僕は言葉は蛇足だとさえ思います。

例えば、今貴方の目の前にムカつくヤツが居て今にも今にも貴方の大切なモノを壊そうとしています。この時に貴方がもっている感情は怒りです。どうしたらこの怒りが相手に伝わるのか?

簡単ですね、ただぶん殴ればいいんです。思いっきり怒りを込めてぶん殴るんです。

 

じゃあとてもハッピーな気分を伝えたい時は?

踊りましょう。歌いましょう。笑ましょう。

 
どうですか?簡単だと思いませんか?僕は無駄に言葉を弄するよりもよっぽど分かりやすいと思います。

殴られた相手は貴方がどれほど怒っているのかを感じるでしょう。しかし貴方の気持ちに共感する事は無いです。

理解はするが共感はしない。とても大切な事だと思います。

 

 

 
もし貴方が立場上怒りのままに暴れる事や大声で笑う事、そのような感情表現が許されないのなら、歌を作ってください。 悲しい気持ちならマイナーコードを使って、楽しいのならメジャーコードを使ってください。

歌詞は最初は「ラララ」で良いです。ただ貴方の心の赴くままに囁き、呻き、叫べばそれでもうそれは貴方の歌です。曲としての体裁はコードが作ってくれます。

絵を描くのもいいでしょう。貴方の見えた、感じたモノ、貴方の欲しいモノ、それらを描いてみて下さい。

 
さてさて、ここまで読んでいただきありがとうございました。読んでくれてなくてもありがとうございました。

それでは、皆様の幸福なる死を願って、おやすみなさい。

 

(この記事はワードプレスからの移転です)