葦は明日を考える。

一人の人間が考えた『明日』を、つらつらと書き連ねます。

小説的なアレ「SF」

プロローグ
 
 ただ故郷に帰りたかったんだと思う。
 実際にその時代に生きてた訳じゃ無いけど。
 ただ私は、誰もが感じる田舎の砂利道や錆びた歩道橋の「懐かしさ」とか、そういう匂いを感じたかった。
 
 私は生まれてから一度も野生の動物を見た事が無い。学校のクラスメート達もみんな見た事が無いと言っていた。お爺ちゃんやお婆ちゃんは小さな頃に虫を見た事があるって言ってたけど、それも本当に小さな時の事で、気づいたら虫どころか、街中の電柱に止まるカラスさえも見なくなったと言っていた。
 そんな話を思い出しながら私は、エアコンの冷たい風で結露して曇った窓の向こう側でボヤけてるコンクリート製の塀を眺めていた。
 
今では殆どの動物は、あの塀の向こう側でしか見る事が出来ない。それも余程の事が無い限りは塀の上に備え付けられた防衛用の設備が自動で処理をするから、わざわざ見に行ったりでもしない限りは、人間が見る必要も無いらしい。
「ねぇ、動物ってそんなに危険なの?」
 ついさっきの歴史の授業で塀の話が少し気になった私は、幼馴染のサトウに聞いた。
「お前、さっきの授業寝てたのか?人間を食うんだぜ?危険に決まってるだろ」
「でも、昔はそんな事もなかったんでしょ?そりゃ人間を襲う熊とかがたまに出たってのは知ってるけど」
「そりゃ昔はな。でもそれは食いっ気だろ。今塀の外に居る動物が持ってるのは人間への殺意だろ。だからあの防護壁やロボパトが出来たんだって言ってたろ」
 そうだ。あのコンクリート塀の向こうにいる生き物はマンガや映画に出てくるような動物じゃない。人間への明確な敵意を持った敵だ。最も何故そんな敵意を持つのかは分からないらしく、ウイルス説や進化説、突飛なものでは地球の意思だ、なんていう人も居る。
見た目は普通の動物なのに、「人間への敵意を持っている」というその一点でのみ、それ以前の生き物とは違うその生き物は、私達の親世代が丁度今の私達お同じ位の年齢の時に発生したらしい。敵意というその一点でのみ他の動物と区別されたそれらは、結局その一点のみの違いしかない為に他の動物との区別も難しく、他の動物と明確に区別される事もなく『動物』と一括りにされたまま、それまでの動物も巻き込んで街から消された。
でも、だからといって人間の生活はそれ以前と大きく変わる事はなく、変わった事といえば、街中に野生動物が居ない事と、あの大きな塀ができた事、あとは市外でロボットがパトロールを行うようになった事くらいだ。
結局のところ私たちの生活はそれ以前と同じく都市管理人工知能とロボット達に支えられているという点では何も変わっていない。塀の向こう側での機械の仕事に、食品の加工以外に、パトロールが加わっただけだ。
「そんなもんなのかな」
「そんなもんだろ……ん、午後は移動教室か、そういや」
「あ、忘れてた」
 いつの間にのクラスメート達は移動先の教室へ向かったのだろうか、気づいたら私とサトウしか居なくなっていた教室で、そんな取り止めのない会話をしながら、私は面倒そうだと言わんばかりのサトウを急かすように次の教室へと早足で向かった。