葦は明日を考える。

一人の人間が考えた『明日』を、つらつらと書き連ねます。

無職漂泊日記1

 

『前書き』

 


お前の不幸に巻き込むなと、母は昔から僕に言っていた

当たるな。泣いて悲劇を演じてるのか?他人の気持ちを考えろ。

父はある時から家に帰らなくなった。多分母と暮らすのに疲れたんだと思う。

そんな父も帰って来た時があった。僕が錯乱してる時だ。

そんな時は決まって父は僕を殴ったり蹴ったりする。

 


『小学生』

 


小学校の時初めていじめられたらしい。その期間の出来事が記憶から抜け落ちたように思い出せない。

覚えてる事は、先生にその話をしたら喧嘩両成敗だと言われた事。母にいじめの話をしたら相手の気持ちを考えろと言われた事。相手は女の子なんだから手を上げるなと言われた事。公園に僕の名前と罵倒が書かれていたらしいと言う事。いじめの首謀者を殺そうとして警察に捕まった事。その日だけは唯一母が優しかった事。

 


いじめを自覚してから三年程だったと思う。今振り返るとこの時までは他人は無償で自分を助けてくれると思い込んでいた。

だから助けて欲しいと言葉で、態度で、血で、記していたんだろう。

 


『中学_1』

 


中学生、いじめられた事もあり私立の中学に行く事となった。

何故かこの時期から自傷癖が加速し始める。

それと同時に他人に助けを求める事が減り始めた。

 


閑話休題_自身の死の先』

 


唐突だが僕は自分に今すぐ死んで欲しいと思っている。この目と耳と脳さえ止まれば私を苛ませる過去も今も未来も全て感じなくなるのだから。

この怒りと憎しみで誰かを傷つける事も無くなるのだから。

 


多分これは遺言とかいうやつになるのだろう。

しかし私はこの内容を両親や友人に見て欲しいとは思わない。

 


むしろ教育者、研究者、医師に見て欲しいと思っている。

 


この文章は資料だ。何故、人は不幸になるのか?という疑問に対しての私なりの研究の成果だ。

 


どうかこの内容を見た人が居たら、この私の不幸を糧に誰かを幸福にする方法を考えて欲しい。

 


閑話休題_不幸の形』

 


不幸には2種類あるのかもしれない。

自分の力一つでやりくりできる不幸と、自分ではどうしようも無い不幸のふたつ。

自分でやりくりできる不幸は不幸呼ぶほど不幸でもないのだろう。例えるなら「明日のご飯はどうしよう?冷蔵庫に何か入ってただろうか?」の様なものだ。私はこの経験をした事がないので推測ではあるが。

 


自分ではどうしようも無い不幸これも例えだが「明日のご飯はどうしよう?電気もガスも水道も止まっているけれど」の様なものは、どれだけ幸福になろうとも常に部屋の片隅や机の影にひっそりと、しかし明確な輪郭を持って、黒く、黒く、有り続ける。

 


それは本人すら気づかないうちにその心の寿命を奪い、そしてその周りにいる他人の姿さえ呑み込む程の、濃い黒だ。

 


私の中にもその黒が居る。その影を少しづつ伸ばしながら。

この黒は怒りであり、憎しみであり、悲しみだ。

 


私は他人の怒りを許す。憎しみを抱きしめる。悲しみを拭う。

しかし私は私のそれを赦さない。一度私が私のそれを赦してしまえば、私は家族も友人も全て殺してしまう。

 


『中学_2』

あの時の僕の自傷は他人に見せるためのものだった。

「助けて」と言うのが恐ろしかった僕は、言葉の代わりに傷で伝えようと思ったんだろう。

きっとそれを見せられた友人は恐ろしさと気持ちの悪さを感じたと思う。

そうして僕はまた部屋から出られなくなった。

 


確かこの頃だったと思う。私立の中学だった事もあり学費もかかるのに息子は引きこもり家で喚いてる。そんな状況を自分ではどうしようも無いと思ったであろう母は父を呼び出した。

 


それ以前から母と父は金銭についてよく揉めていた。

よく母から聞かされていたのは父がスロットで家の貯金を知らぬ間に使い果たしていた話だ。

 


この時もまず学費の話で揉めていた様な気がする。

僕は父に「お前の稼ぎが少ないからだ」と怒鳴った。

次の瞬間僕は部屋の床に叩きつけられて蹴り飛ばされた。

1週間程アザが残り痛みがあったが、それ以上に父が初めて見せた怒りの顔が恐ろしかった。

 


父が僕に手を上げた日は母は少し優しかった気がする。

 


その後も何度かその様な事があったと思う。

父に頭を殴られて、逆に父の指が折れるなんて、今思えば少し笑えてしまうような出来事もあった。

 


そうして自傷も加速し学校への復帰も出来ずにいた時に母がフリースクールへの入学を提案した。

そこには僕のような人が沢山いた。寂しくなかった。楽しかった。

 


フリースクール

フリースクールへの入学をした頃、母が入院した。

フリースクールにいる時と父が夕食にファストフードを買ってきてくれる時以外は1人で家にいる以外は、1人で居る時間が続いた。

落ち着いた時間だった。自由だった。

あの時に久しぶりに声を出して泣いたような気がする。

 


好きな人もできた。一つ年上で明るく綺麗な人だった。最初は姉のように思っていたが、いつの間にかもっと近くに居たいと思う様になっていた。

 


彼女の卒業の前に告白をした。彼女からの返事はついぞ貰えなかった。

 


時を同じ位にフリースクールに何人かの他人が新しく入ってきた。同い年の女の子が1人、一つ下の女の子が1人、他にも何人か。

その時からだろうか、妙に周りの女の子から好意を持たれる事が増えた様に思えた。

 


そして彼女が2人、遊び相手になりたいと言う女の子が1人出来た。とても居心地が悪かった。

 


多分彼女達は僕の顔を見ていたのだろう。僕の痛みは見えなかったのだろう。

 


その場から逃げようと一月ほど雲隠れをしていたら、向こうから別れを告げてきた。

凄く安心した。

 


この頃には母も退院してまた居場所のない時間が始まった。

 


フリースクールの卒業式を終えて、そのままエスカレーター式にその上部の通信高校へと入学した。

 


『高校生_1』

僕が高校に入学する前後に仲のいい友人がバンドを組み始めた。

僕はピアノを習っていたので一緒にやりたいと言ったが、スリーピースでやりたいと言われギターも弾けなかった僕は諦めた。

今思えばあの時さっさとギターを練習するべきだった。

 


高校の教室には僕以外に男子は居なかった。

その後も生徒は増えたが殆どが女子、男子は最終的には3人までしか増えなかった。

 


小学生の時に女子にいじめられていた事や、中学での出来事から女子が苦手だった僕は、その時流行っていたカードゲームをしていた仲間のいる3年生の教室へといつも遊びに行っていた。

 


学校が終わった後は札幌駅の地下のベンチで夜中までカードをしたり下ネタで盛り上がったりしていた。

 


この時はまだ学校に通えていた。

 


2年になる頃前後だったと思う。新しく同学年の男子が入ってきた。最終的に増える2人のうちの1人だ。

 


可哀想なやつだった。彼も僕と同じで(一応今では週に一度は帰ってきてはくれているので正確には僕以上に)父親は居らず、弟と母親の3人暮らしだと言っていた気がする。

 


一度遊びに行った事があったが家は荒れ果てて壁は穴だらけ、炬燵の足も一つ無かった。

まぁ今にして思えば僕の家も血だらけ穴だらけであまり変わらない有り様だったが。

 


僕は彼にそこそこの好意を抱いていた。自分と似た感情のようなものを感じていたのかもしれない。孤独感や怒りだ。

 


彼の恋の悩みを聞くのも、今までそういった話をする事は無かったので中々興味深い体験だった。

 


しかし、ある時から彼は僕に敵対心を向けるようになってきた。

ある時その敵対心が爆発したのか僕は彼に殴られた。

僕も彼を殴り返そうとしたが、周りの人に止められた。

その時僕の心の中にあった気持ちは彼への怒りでは無く、僕を止めた他人への怒りだった。

 


その後から聞いた話だが、好きな人が同じ人だったらしい。

彼はそのことを泣きながら語り僕に謝った。

 


この後にも似たような事が何度か起こる。

彼の怒りの動機は恋に関する事だったが、その時には僕はもう彼の事は頭になく、彼の後ろにいる人間への怒りしかなかった。

 


『今』

二〇二一年六月二三時三二分。今、僕は小樽行きの電車に乗りながらドビュッシーの月の光を聴いています。

電車の揺れる音が聴こえます。とても穏やかな気持ちです。

街灯や信号機の灯りが右へと走っては消えていきます。

通り過ぎる駅のホームには誰も居ません。

きっと今から向かうところが僕の帰る所なのでしょう。

踏切の音が走っていきました。

 

終わりというものは僕が思っていた程鮮烈なものではないのかもしれません。

僕は自分の人生は悲劇だと思っていました。

ですが今僕の心の中にある気持ちは悲劇のエンディングにはあまりにも不釣合いな安心感です。

この線路の先にほんとうに終わりがあるなら、僕の人生は喜劇として終われます。